2012年2月11日土曜日

本屋の大学受験コーナーに行ってきて、勉強について考えたんだ。

本屋の大学受験コーナーに行ってきて、勉強について考えたんだ。

たまに、学校で習ったことは、役に立たないとか、使わないとかいうけど、
学校のテストの内容に答えることができない社会人はいない。

仕事で、英語を読んで、間違って意味を解釈して許されることはないし、
自分の思いもよらない分野と、自分の専門分野がつながることはよくある。
その際の理解が間違っていてもだめでしょ。

じゃ、なんで学生時代の勉強ができるできないの問題になるかと考えると、
成績の優劣をつけるために、すべての教科をできるできないの問題にわざとしているんだと思う。
ここで求められる能力は、必要な情報を覚えていること。

この能力が社会で生きることは、一時的で、他の人に調べる時間があれば埋められてしまうし、即時答えるより出典とともに情報は答えなければ信用してもえられない。

必要な情報を覚えるという能力が必要なら、すべての教科でそれをはかるのではなく、一つ暗記って教科をつくればいいのにと思う。

では、どのようにすれば、各教科が生きるのだろう。
一つの解決策として僕が提示するのは、すべての教科で参考書を持ち込み可、さらにいえば、インターネット検索可能にすれば、改善されるとおもう。

特に現在は情報の収集と取捨選択し、それを生かす方法が大事、さらに、そこで差がでるような問題を作成すれば、その分野のより深い部分にすすんでいくのではないかと思う。

そんなことを呆然と考えて分かったのは、
そういう訳で、私は「国語」という教科が好きなんだって思うこと。